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Archive: 2014年10月

マスオの呪い

「キヨシローにあこがれて」という歌があるけれど、我々の一世代上の音楽好きは忌野清志郎に憧れている気がする。
そして、我々の一世代上の絵を描く人たちは池田満寿夫に憧れているように思う。
というか、生きている時に交流があった人とかもいる。
だが、私が知っている池田満寿夫は既に伝説の人化していた。
「すごい、こんな人だったんだ!」と全貌を知ったのが、死んだ時だった。
私が高校生の時、池田満寿夫はいきなり死んだ。
それまで、テレビに出ているもじゃもじゃ頭の変なゲージュツ家だと思っていた。
今となっては信じられないけど、私が小学生の時、ほんとに池田満寿夫がクイズダービーやら世界不思議発見に出ていて、山田邦子が「よ~こ~」(佐藤陽子さんを呼んでいる)とモノマネとかしていたのだ。
だから、私が高校生の時に満寿夫が死んだ後、「こんな人生で、こんな作品を生み出した人です」という追悼番組で初めて全体像をザックリと知った。
その後、たまたま従兄の本棚に「エーデ海に捧ぐ」や富岡多恵子の本を発見し、私はどんどん満寿夫が好きになった。
生き方も、作品も、女関係も鮮やかで、透明感があるのに、尖っている。
その後、私はたまたま銅版画を続けることになり、「銅版画って何?」と訊かれる度に「日本人のアーティストだったら、池田満寿夫とか山本容子とかがやってるやつだよ」と説明している。
そこまではいい。
私はある程度、人に合わせることもできるし、他人のいい所を認めることもできる。しかし、あまり既存の作家に影響されたくない。私は私の作品を作り続けたい。
銅版画をやっていると、人生に満寿夫がつき纏っていて仕方ないのだ。
満寿夫は恰好いい。エリートじゃない、イケメンじゃない、でも、カリスマ性がある。そこが男性にも憧れられる理由だと思う。芸大落ちてる人がベネチアビエンナーレで大賞獲ったり、芥川賞獲ったり、ニューヨークで個展やったりした。田舎から出てきて、何も持ってない男が才能だけで、のし上がっているように見える。
私が26~32歳まで通っていた新宿の工房には満寿夫の版画が飾られていた・・・。
今年の夏、個展を開催したギャラリーのオーナーは元・電通の社員で池田満寿夫の「般若心経IN清水寺」というイベントをプロデュースした人であった。
別に、池田満寿夫に憧れて版画科に入ったわけでもないのに、大学でも教授陣は酒を飲むと満寿夫の話をしていた(多摩美の版画科の教授に来ることが決定していた矢先に満寿夫は死んだ。だから、もう少し長生きしていたら、私は教わっていたと思う)。
どこに行っても「満寿夫、満寿夫」である。
私は満寿夫に呪われているんじゃないか・・・とすら思えてくる。
そもそも、生まれる前から呪われている。
私の名前を何するか決める時に、父親が音だけ「サオリ」に決めた。母親が姓名判断の本を買ってきて字画を調べて「沙織」だと良くなかったので、糸偏に変更したらしい。
ちなみに、「紗織」だと大凶である。
「病弱で、人に誤解されやすい」と書いてあった。当たっている気がする・・・。
何故、その名前にしたのかというと、母は下の名前の「紗織」の画数ではなく、総画数で決定していたのだ。
当時、母が参考にした野末陳平の「姓名判断」の本を開くと総画数45の有名人に池田満寿夫と書いてあった。
母よ・・・私は女なので嫁にいったら姓が変わるのですよ。
しかし、折角、池田満寿夫と同じ画数にしてもらったのだしなぁ、と思い、今後、嫁にいくことがあれば、プライベートでは夫の姓を使い、「三嶋紗織」の方は雅号として使おうと思っている。

村上さんちのカオルちゃん

今日は東京で現代美術の作家として活動している村上郁さんのご紹介です。
彼女とは大学の同級生だったのですが、彼女の作品を観たら「同じ学部だったのに、なんでこんなに作品が違うの?」と思われるかと思います。
彼女は日本の大学の版画科を卒業した後、イギリスの大学の彫刻科に留学されたのです。
そりゃー、違うでしょう。
版画科は不思議な科で、予備校の色んな科にいた人が入ってきます。
何故なら、版画科自体がメジャーではなく(今現在の受験の傾向は知りません。あくまで、私が浪人していた頃の話です)、油絵科の人が滑り止めで受けるような感じでした。
ですから、私のようにデザイン科にいながら「版画科に行きたいんです!」と言うような者は予備校講師からしてみれば、何を考えているのかよくわからない者だったのです。
私は初めから銅版画がやりたくて、狙って大学に入ったのですが、かおるちゃんは多分、受けたら受かっちゃった人です(直接、訊いたことはありませんが)。
芸術家一家なので、1、2浪してたら芸大に行ったり、日本の大学を経由せず海外留学していたかもしれません。
面白いのは予備校の色んな科から入ってくるということだけでなく、偏差値もバラバラで、家庭環境も格差があり、卒業後はみんな好き勝手な道に行くという点にも見られます。
ですから、卒業後10年も経つと「版画を続けていたら仲間」どころか、「何でもいいから作家活動していて、何年かに1度、作品を観ることができて生存確認が取れたらそれでいい」という感じです(笑)
私が京都で個展を開催した時にはイギリスの大学で同じ科にいたけれど、現在は舞台をやっている女性と遊びに来てくれました。
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そんなかおるちゃんの作品はこちら↑
電球の中に写真と水(以前は水だったか、今はジェルオイルかも)を入れている作品なのですが、私はかおるちゃんのこの電球シリーズが好きで「なんで、好きなのかな?」と考えたら、私はスノードームとかペーパーウエイトが好きなので、それに近いのかも、と思ったのです。
かおるちゃんの作品は旅行の記憶や匂いを掌サイズに封じ込めているような、そんな作品たちです。
以前、私がマトリョーシカが好きで作ったり集めたり話したりしていたら、突然マトリョーシカが流行ったので、スノードームやペーパーウエイトや村上郁もブレイクするかもしれません。

村上郁 個展
11月3日~11月23日
遊工房アートスペース

 

みどりの意思

前回の記事で紹介した「くらよし・まち・アート」を観てきましたよ!
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これは元・喫茶店に作品が展示されている様子です。
色んな場所に作品が点在していたので、それをうろうろ観て歩くのが楽しかったです。
展示されていたブースの一つで、河本緑石記念館というのがありました。
私も河本緑石という人は初めて知ったのですが、自由律俳句を詠まれていた人だそうです。
宮澤賢治と同級生で「アザレア」という同人誌を一緒にやっていたらしい。
そして、「銀河鉄道の夜」のカンパネルラのモデルなのではないか、と言われているらしい。
しかも、賢治と同い年で同じ年に亡くなったらしい。
ーというところまでは「ほー」という感じですが、死に方がカンパネルラのように溺れた人を助けて死んだらしい、という点で「あ、何か知ってる!」と思ったら、うちの近所の海や小学校に石碑が建っていて「昔、農高の先生が溺れた人を助けに行って、死んだらしい」というのを聞いていて、その人が緑石だったからです。
鳥取出身の自由律俳句だと「咳をしても一人」とかを詠んだ尾崎放哉という人がいますが、放哉のことを書いた著作などもあるらしい。
「らしい、らしい」ばかりですが、私自身、聞いたばっかりで、緑石という人がまだ自分の血肉なっておらず「そんな人がいたのか~」という程度だからです。
そういう人がいたらしいという話を聞いて、きっと、立派な人だったのだろうな、と思ったのです。
ただ、「立派な人」ってあまり感情移入できなくて、尾崎放哉とかチャールズ・ブゴウスキーとかアル中詩人みたいなのの方が「わかる」気がするんです。
傍にいたら、絶対につき合わないですけどね。
120%だめんずだもん。
そもそも、私が昔つき合った人で2人続けて、尾崎放哉が好きな人がいて、2人ともダメだったからね!
いきなり、話が下世話な感じになって申し訳ないですが・・・。
「咳をしても一人」という自由律俳句を読んで、キュンとくる感受性は危ないと言えます。
ただ、言葉のセンスはいいのかもしれません。
それを会話のセンスまでもっていき、コミュニケーション能力を高めて、ビジネスで使えるようになったのなら、だめんずではないのかもしれません。
そもそも、そんな人は尾崎放哉の自由律俳句に惹かれないか。
同族嫌悪なのか、元カレへの恨みなのか、尾崎放哉批判みたいになってしまいましたが・・・。
昔の文学者って、基本的にだめんずですよね。太宰治とか。
ただ、河本緑石と宮澤賢治は違う。
だって、農高の先生やりながら、創作したり仲間と文通したり、溺れている人を助けたりするわけだから。
働きながら創作活動を続けた人として、カフカとか宮澤賢治とかいるのですが、両立というのは殆どムリな話で、家庭や職場でわちゃわちゃと雑音が入ってくるとなかなか集中できないものです。
芸術家一家とか制作する環境が整っているならまだしも、何もない文化レベルの低い所でやっていくのは何もしない方が幸せなのではないか、と思われます(当社比)
細々と続けている者が学んだコツとしては「元をとってやろうと思わない」ことと「わけがわからないことに巻き込まれたら、全力で逃げる。人に嫌われてもいいから、プライベートでは自分を殺してまで人とつき合わない」ことです(笑)
今、河本緑石さんのような人が同僚にいたら、怒られるか、励まされるか、どちらでしょう。

河本緑石研究会

アウトサイダーアート

今、鳥取で全国障がい者芸術祭というのをやっているのですが、その昔、私はアウトサイダーアートにドハマリした時期があったので、楽しんで色々観ています。
アウトサイダーアートが大好きだった時期とは大学生の時期で、制作する環境としては一番いい環境なのに、私はアウトサイダーアート的な絵を制作し始めてしまって、今となっては「ほんとうの自分の絵を描くべきだったのではないだろうか・・・?」と思ったりもするのですが、そんなこと言っても、その時期はそういうのにハマっていたのだから仕方ない。
作家は何かにインスパイアされて制作するのが多いのですが、例えば、音楽とか自然とかにインスピレーションを受けて描くならまだしも、私はアウトサイダーアートですからね。
それっぽく描いても、ほんものにはかなわないじゃないですか。
そのことに大学卒業する頃、ようやく気がつきました。
例えば、ルイス・ウェインという猫を描いていたイラストレーターで、統合失調症を発病後、絵が紋様みたいになっていった人がいるんですが、そういうのを描こうとしてたわけですよ。ざっくり説明すると!
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↑こんな感じで絵が変化していったようです。
元のファンシーイラストみたいな猫を描いてるおじさんだったら、何も興味持たないのですが、発病後の絵はすごいですよね。
その他、アドルフ・ヴェルフリとかヘンリー・ダーガーとか挙げていくときりがないのでやめますが、アウトサイダーアートの作家には他のアーティストにはない鬼気迫るものを感じたのです。
「描かずにはおれない」というような。
なので、絵画療法を講義していた心理学ゼミに毎週通い(授業が朝早いのと英語のテキストばっかりだったのでどんどん生徒がいなくなったという)、障がい者施設で制作している風景を追ったドキュメンタリー映画を一人で観に行き、アフリカの絵画とかそういう展示を調べて観に行き、果ては精神疾患があるような絵を描いてみたり・・・という大学生活を送っていました。
しかし、アウトサイダーアートの殆どは何も狙わず描かれたものだから、作家としてそこから何かを得ようとするのは難しいわけです。
何故、そこから学ぼうとしたのだ、と過去の私に問い詰めたいです。
単純に、私は浪人してるので、王道に疲れただけなのかもしれません。
だからって、極端な方向に走りすぎだろ、という感じですが、その当時は「こんな世界があるんだ、面白いな」という感動だけで、突っ走っていました。

さて、そんなアウトサイダーアートに魅了された私ですが、やはり今、観てもなお自閉症児の細かい作品などは他のどの絵画とも違うものを感じます。
今、正に鳥取でやっているアール・ブリュット展などはそういった障がい者アートです。
多分、アウトサイダーとかつけると「社会的アウトローなのか?」と知らない人は思ってしまうからかな?(アール・ブリュットはフランス語で「生の芸術」という意味)
私はアウトサイダーアートという呼び名が恰好いいと思って使ってますが、障がい者芸術はアール・ブリュットとかエイブル・アートとかパラ・アートとも呼ばれています。
10月5日~13日まで開催される「くらよし・まち・アート」では白壁土蔵群にあるお店で展示やワークショップなどが行われます。
ワークショップのお申し込みなどはCOCOROSTOREさんで受け付けているそうです。
アウトサイダーアートに触れながら、自分の作品も作ってみてはどうでしょうか。

COCOROSTORE