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Archive: 2017年01月

3万分の1

高校2年生の時、親を説得して夏休みに1ヶ月東京の予備校に行かせてもらった。
定年退職した美術の先生がやっている画塾に通っていたけれど、あまりにもデッサンが古くて、予備校に行かないと美大には受からないと思った。
基礎科に入ったので、周りは同い年で浪人生はいなかった所為か、全く劣等感を抱かなかった。
ていうか、デッサンで2番だった。
1番目にうまいAくんは背は低いけどイケメンでその近辺で一番の進学校に通う生徒だった。
寡黙な人だったけど、ツンとすまして周りを見下しているわけでもなく、周りと仲良くしていたように思う。
高校3年生になって、再会するとAくんは同じ予備校の女の子とつき合っていた。
しかし、クリスマスイヴには別の女の子を連れていた。
私は一時的に寮に入って予備校に通っていたのだが、その寮を退寮させられていた女の子がいて、それがどうも部屋にAくんを連れ込んだのではないか、という噂だった。
あまり親しく話したことはないけれど、何かスキャンダラスな人だ、と思った。
講師からの受けもあまり良くなくて、明らかに私よりうまくなっていたけれど、Aくんは「劇画調で好きじゃない」と言われ、私は「素直ないい絵だと思う」と励まされた。
結局、Aくんは2つぐらい現役で受かって大学に行ったが、デザイン科なのに就職しなかった。
そして、何故か漫画家になっていた。
デビュー作がヴィレバンに売っていたので、買って読んだが、買ったことを後悔した。
その後、原作付きで何冊か出版していたようだが、原作を付けて正解。
さすがに絵は上手いんだけど、ストーリーが気持ち悪くて、これはファンがつかないだろうと思った。
ただ、他にも私の知り合いで漫画を描いていた人っているけれど、彼が一番漫画家として成功していた。
他の人たちは1冊も単行本を出してないし、デビューしてそれっきりとか、たまに雑誌のイラストを描いている程度で、難しい世界なのかなぁ、と傍から見ていた。
そんなAくんも最近見かけないなぁ、と思っていたら数年前に自殺していた。
ライブドアニュースとかにも載っていたらしいけど、私は鳥取に帰ってゴタゴタしていた時期だったので、全く知らなかった。
そもそも、現役生の時の予備校の同じクラスの人なんててんでバラバラで繋がってない。
一昨年、その予備校で同じクラスだった岡部くんが鳥取に障がい者アートの関係でやって来たことがある。
それは嬉しい再会だっただけど、今回のAくんはかなり嫌な再会だった。

 
日本では毎年約3万人の自殺者がいて、それが2012年以降減少して3万人を下回ったとか言っているけど、遺書がないから変死になっている人たちが10万人以上いるらしい。
私の知らない場所で戦争でもやってるんじゃなかろうか。

表現の自由。

【ろくでなし子裁判】スプツニ子!さん「芸術家にとって『女性器を使うな』は『この色を使うな』と同じ

「芸術家にとって、女性器をテーマとして扱うなと言われることは、「この絵の具の色を使うな」と言われるようなものです。それは、「この絵の具の色は使ってはならない」と言われたまま、絵を描き続けなくてはならないのとすごく近い。
女性器は、色々なもののシンボルとされています(男性器もそうですが)。ジェンダーの違いを表すシンボルとして、何かものが生まれてくる場所として、それを形として使えないままというのはおかしい。」

スプツニ子!の言いたい上記の内容はアートに興味のない人にはピンと来ない話かもしれない。
私も制作しているけど、ジェンダーをテーマにしてないので、「この色(=女性器)を使うな」と言われても別に困らない。
だけど、その色があることを知っていて、どうしてもこの画面(表現)にはこの色じゃないとしっくりこないんだ!と思い入れがあるものを表現して発表して猥褻物陳列で逮捕されたら、私も理解が得られるまで闘うかもしれない。
・・・いや、闘わないな。
「あ、はい。すいません。変な物作って。私がバカでした」とか言って撤収して、あとで誰かに「こんなこともできないなんて日本はクソだな。どいつもこいつもわかってない!」とか言う。
多分殆どの人がそう。
だから、今回ろくでなし子に加勢したスプツニ子!は偉い。
大人だから、私も自分が「違う!」と思ったことに対して、理路整然と闘いたいけど、根が感覚派でフワッと雰囲気で生きてるから、咄嗟に「これこれこうでおかしいだろ!」と出てこない。
スプツニ子!はゴリゴリの理系女子だから、闘い方が理屈でねじ伏せてくるようなやり方だ。
割と、絵を描く人って大人しい人が多いので(実際はもの凄く気が強いのに、一見そう見えないからつけ込まれるようなタイプ)世間に潰されがちというか、本人の気質もメランコリックな人が多い気がする。
以前、バンドをやってる人とつき合っていた友人がその男と別れた後、絵を描く知人たちを家に招いたところ、その家のお母さんに「絵を描く子って、バンドやってる人と違って騒がないのね」と目を輝かせて言われた。お母さんのお手伝いもするしね。
ただ、社会においての「困ったちゃん度」で言うと
小説家>バンドマン>アーティスト>漫画家>役者>音楽家
のような順番であまり大差ないように感じる。
子どもの頃から基礎を叩き込まれ、厳しいレッスンに耐えて声楽とかピアノとかの音楽活動をしている人が一番礼儀正しいと思う。
芸大生の花見に呼ばれて行った時、チンドン屋みたいな油絵科の知人たちに混じって、新作のバーバリーのワンピースを着て背筋を伸ばして正座をしている女の子がいた。
明らかに異彩を放っていたその子は音楽学部のバイオリン科の生徒だった。
育ちが違うっていうのもあるんだけど、クラッシックを叩き込まれた人と既成概念を壊して新しい物を作るのを目指している人の違いを感じた。

話がズレたけど、コンセプチャルアートをやってる人は既成概念と闘い続ける宿命にあるんだなぁ、と思った記事でした。