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時代は変わってきている。

新型コロナの所為で日本中が自粛生活だけど、私はつい最近まで毎年妊娠・出産していてずっと自粛生活みたいなものだった。
だから、まぁ別に自粛生活は慣れてるというか、特に苦ではない。
それより、お金がないとか仕事がないとかそういう人の方が不安だと思うし、私がもし結婚してなくて、今の仕事にも就いてなくて(今年から新しい職場!)、ずっと東京で一人暮らししてたら、ほんとにヤバかった。
コロナが蔓延しててヤバイという意味でも、今までの職歴の仕事はコロナでなくなってるという意味でも。
コロナで死ぬ前に経済的に死んでるな、と。
昔、在籍していた会社でコロナ前に倒産してる会社もあるし・・・。
自分が思う通りに動いて正解だった。
あの時は、このままではヤバイと思って動いたというより、自分の為だけに生きていくのに限界を感じたので、人の為に生きていきたいなと思って生き方を変えたんだけど。

 

岡村が炎上してるのを見て、余計なことを言わないって大事だなと思った。
「今はしんどいかもしれないけど、耐えた先にはいいこともあるかも」で、止めとけば良かったんじゃないの?
それを、通常なら体を売らないで済むような人までもがお金に困ってお嬢をやるだろう、それが楽しみだ、ということまで言ってしまった。
それで、「そういう考えは女性蔑視である」ということらしいが、それがこんなに大炎上して、何故会田誠の環境セクハラは問題にならなかったのだろう。
別に、どっちも擁護するつもりはないし、岡村の発言はアウトだと思うが、それがダメなら、会田誠の「美術モデルを性的ネタにしてた」という発言もアウトだろう(実際はもっとえぐい表現だったが、マイルドにお伝えしています)。
講演での発言なんだけど、そこに美術モデルがいて「環境セクハラだ!」と訴えたらしい。
美術モデルからしたら、性的な仕事ではなく、芸術のためにやってる仕事なのに、そんな風に言われるなんて心外です!ということなんだろうけど。
何故か今後一切関わるなという主催者側がこの人をクレーマー扱いしていた。
もしかしたら、今までもトラブルを起こした人なのかもしれない、それでも私は腑に落ちなかった。
「そもそも会田誠って、そういう奴じゃん」ってことなのかな?
それで、許される時代じゃなくなったのに?
会田誠が変態なのも、岡村隆史がこじらせてるのも、みんなが知っていることではないか。
うん、それを踏まえてもダメでしょう。
私が大学生だった20年前、平気で「おっぱい大きいね」とか言う教授がいて、私が不快であることを伝えると周りの男子がその教授を庇うようなことを言い、それで話は終わった。
高い学費払わされて、何も教えない教授に子どもがセクハラされてたら、親も浮かばれない。
夫なんてもっとひどいアカデミックハラスメントを受けて、不貞腐れていた時期があったらしい。
明らかにおかしいことでも、学生は訴えようがなくて、「上が白と言ったら黒いカラスも白になる」と言っていて、その話を聞いた後に日大アメフト部が同じようなことを言っていて「うぁ、ほんとにこんな世界があるんだ」と思った。
それでも、立ち直って、卒業して試験受かって資格を取ったんだから偉い。
私は子育て中に2度目の大学生をやって、教職と学芸員の資格を取ったんだけど、先生たちが全然違うし、時代は変わったのだと感じた。
採用試験とスクーリングがかぶっていて、卒業に必要な単位が取れなくて、まだ卒業できていないんだけど、資格に必要な単位は全部取り切って、卒業前に就職が決まった(元々、別の四大出てるから卒業してなくても、そういうことができる)。
夫とつき合って「資格って大事だな」って思ったし、インチキせずにまっとうに暮らすっていいなと思った。
私の意識が変わるとマウンティングばっかりで、愚痴と自慢を垂れ流してくるフレネミー(友人のフリした敵)と縁が切れた。
私は去る者は追わないので、まぁいいやって感じ。
今はスピリチュアルカウンセラーみたいなことをしているらしく、離れてみると、インチキマンチキだったのがよくわかる。
そういう人って、結局口が上手いだけだから。
去る者も追わないけど、来る者も拒まないので、そこが問題だったのかも。
危ない奴とは距離を取ろう。心のソーシャルディスタンス(笑)
まぁ、それは置いといて、通学生の時も通信生の時も何故か教職とか何か資格を取ろうとすると「なんで、そんなの必要なの?」と色んな人に言われた。
20年前は「は?先生になるの?」と小バカにされたり(教育学部じゃないから、そういう感じだった)、周りの教職取ってる同級生もどんどん脱落していった。
今は「もう結婚してるのに、なんでそんなことするの?」と言われる。
つまり、働かなくてもいいのに、という意味で言われる。
でも、一応美術の先生になろうと思って、鳥取に帰ったので、その辺は初志貫徹しようかな、と。
私がこういうことをしていると「理解ある旦那さんで良かったわね~」と色んな人に言われた。普通はやらせてもらえないよって。
そうなのかな?どうして、世の中の奥さんたちはダンナの許可がいるわけ?
どうしてかわからないけれど、まぁ、反対されなくて良かった。
うちの夫は応援しているというより、多分「この人はこういう人だから仕方ない」と諦めているのだと思うけど。
結婚式の時に私の大学時代の友人たちに夫が囲まれて何か言われていて、何話してんだろと思っていたら、式が終わった後、夫に「ねぇ、紗織の友だちに『あの子、フリーダムで迷惑かけると思うけど、よろしくお願いします』って言われたんだけど」と言われた・・・。
それ以降、私が何をやっても「どんだけフリーダムなんだよ」とか「出た、フリーダムが。報連相がなってない!」とか言われるようになった。
自分の頭の中では計画を練って練って実行しているから、周りにも伝わっている気になっているけど、夫から見たらある日突然私が何かを始めているように見えるので「聞いてないんだけど」って感じになるらしい。
だから、今後の目標としては卒業したあかつき(?)には東京で個展をするんだよと話した。
(もう場所も決まってるんだけど、コロナでその画廊がなくなったらどうしよう)
それまで、みんなが元気で生き延びなきゃ。

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↑新作の下地に描いた版。上に絵を重ねる前の方が面白いような気がする。

 

楽園は身近に

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校外研修で地元和紙を使ってランプを作っているS先生のワークショップのアシスタントをすることになった。
自分は人に美術を教えるには工芸的なことが弱いので、陶芸とか和紙とかを学ぼうと思っていたのに、コロナ禍で全てがなくなりそうな勢い(陶芸も別の先生に教わる予定)。
まぁ、命には何物も変えられないから仕方がないことなんだけど、すごいタイミング・・・。
人によるのだろうけど、私は勉強する時は一気に集中してやる派なので、こんな中断しながらダラダラするのは合わない。
さかもと未明が「まさか発達障害だったなんて」(星野仁彦と共著)で仕事をやる時は一気にやるって言ってたけど、過集中する人はその方が合っているらしい。
トトロでお父さんが論文を書いてる横でメイが「お父さん、お花屋さんね」とチョロチョロ遊びに来るんだけど、学者で(メイのお父さんは大学教授)そんな仕事の仕方できる人なんていないと思う。
私も家族がいる時は気が散るから制作しないもの。
仕事や勉強だけでなく、過集中は感情もあるらしく、例えば怒りとか悲しみとかそういうネガティブなものに集中してしまい苦しむということもある(と臨床心理士の人が言ってた)。
冷静に考えられない時はそういう感情を手放してしまうしかないんだけど、それができないから(発達障がいのある人はストレス耐性もないし)、苦労するんだと思う。
ただ、悔しかったことは悔しかったことで返すしかない。
やられた相手にやり返すとかではなく、悔しいと思ったら次結果を出せばいい。
ルサンチマンは健全に昇華するのがよろしい。
一番面倒臭いのは、こっち正当なことを言っていても、裏から手を回して自分の都合がいいように持って行く奴とか、やっかみで悪口言いふらす奴とか、マウンティングしてくる奴とか、そういうのはどうしようもないので「かわいそうな人だ」と思うしかないのだけど。
そういう奴って自分が都合がいいように話を作るし、平気で嘘つくから性質悪いんだよな。
閑話休題。
S先生の和紙灯り作りは「地上の楽園」で放送され、全国からやってみたいという人が殺到したり、ワークショップの依頼があったらしい。
S先生は元々作家活動をされていた人ではなく、学校の先生で(教科も美術でもなく)校長先生を退職した後、山ノ内さんの青谷和紙を使ったランプを見て「自分も作ってみたい!」と思って始めたらしい。
定年退職後に自分の工房を持って制作をして、時々ふらりと「教えてください」って人が来て、人との交流もあり、自分が夢中になれることもあり、ささやかな収入もあり、すごく健康的で理想的な老後ではないか、と思った。
正に、地上の楽園(笑)
過集中の癖がない人でも「何かに夢中になる」という時間は脳をフロー状態にする効果があり、ストレス解消に役立つ。
山ノ内さんのランプはもう少し上品な感じで旅館とかに卸しているけど、S先生の作品は蔦のフレームがアールヌーボーっぽくていかにも奥様が好きそうな感じで、良い意味でおかんアートに近い親しみを感じる。
そこがきっとみんなに愛されるポイントなんだと思う。
江戸時代、和紙漉きの技術は藩から出してはいけないものだったが、青谷の鈴木弥平が流浪している美濃の弥吉という者を助けたところ、弥吉から紙漉きの技術を教わる。(参考文献・「江戸の想像力」田中優子)
青谷和紙は人助けによってもたされた山陰の宝なのである。

ゆらりん工房

自分でかんがえる。

全国休校要請が出て、まず思ったのが「休みになったからって、遊びに行く人がいそう」と。
そしたら、速攻ディズニーとUSJが休館になってた。
北海道の知事が対策をバンバン出してるから恰好いい(?)という話になっているけど、そもそもさっぽろ雪まつりしなければこんなに感染しなかったんじゃ・・・?
こういう時は、もう戦時中みたいな気持ちで過ごすぐらいがちょうどいいんじゃないかと思う。
非常事態にライブとか行ってる場合じゃないだろう。
爆撃はないし、ウィルスだから目に見えないけど、ヤバイんだよって思って過ごさないと。
東日本大震災の時も仕事ができなくなったり、節電で停電になったり、自粛自粛だったけど、その時みたいな気持ちで・・・って、自粛してない人、結構いたけどね!
特に、私たちの上の世代。フツーに花見したり、居酒屋で飲んでたりしてたのは、みんなオッサンたちばっかりで、なんなんだ、こいつら!と思った。
真っ暗な電車に揺られて、遅めに出勤してたら、突然オバサンが「なんで、若い子が優先席座ってんの!あんないいCM(フツーのCM流せなくてACばっかりだった)やってるのにね!」と大声で知らないおばあさんに話し出して、そこからうちの息子は早稲田に行っただの、今は留学してるだのよくわからん自慢(?)が始まって、サラリーマンっぽい人が注意して収まった。
ラッシュ時に電車に乗るとみんな気をつかって(?)静かなんだけど、昼ぐらいの空いてる電車に乗ると主婦っぽい人が多い。
そんなフツーの主婦っぽいオバサンが真っ暗な電車の中、みんなじっと我慢してるのに、よくわからん因縁をつけて大声で演説をし始めた。
優先席に座ってたのがどんな人か見てないけど、若い人だって具合が悪ければ座ってもいいんじゃないの?と思いつつ、みんな神経が過敏になっているんだと感じた。
そして、工房に寄ったら、先生が「こういう時ほど、絵を描こう。これぞ、世紀末絵画だ!」とか言っていて、棺桶ぐらいでっかい段ボールが届いた。
・・・中身はトイレットペーパーだった。
(なくなると思って買い占めたっぽい)
放射性物質が心配だからといきなり九州とか沖縄に避難する人もいたし、私もなんか色んなことがうまく回らなくなっていた(バセ発覚以降、体調が悪かった)。
で、何年かして
①美術の先生になる→東京では中高持ってないと受験資格なし。
②結婚する→一人で入院するのが嫌だった。
③子どもが欲しい→これ以上、引き延ばすとタイムリミットが来る。
と、神の啓示(嘘)を受けて、3ヶ年計画で「35才までに再就職、結婚する」と決めたけど、教員の募集はないわ、結婚相手はいないわで、全然うまくいかなかったけど、同じ期間東京にいて同じ時期に帰って来た人と結婚した。
夫は別の人と結婚するつもりで、連れて帰ってきていたんだけど、諸事情により相手がいなくなったので、そこに私が収まり、車や指輪がもう用意されてた。
・・・別の人(前の彼女)用だけど。
車はともかく、指輪はないだろう。
「いや~、ちょうどいいところにあるんだよ~」とか云って出してきたけど・・・いらねーよ!!
夫は社会人になって貯金がようやく100万円になった時、90万円の指輪を買わされ、貴金属買取に出したところで二束三文だし、と後生大事にとっておいたらしい。
(のちに私が台座だけ貴金属買取に出し、そのお金で婚約指輪のダイヤをネックレスに作り直した。婚約指輪のダイヤって一番いいダイヤで作るって聞いたから、ダイヤだけ活用した)
このエピソードはお昼ご飯の時に話したら、普段穏やかな人がむせるぐらい笑ってくれたので、まぁいいかと思っている(笑いがとれたから)。
で、私たちはスタージュエリーの3万円のフツーのペアリングを買って結婚指輪にした(再度、何十万もするのを買わせるのがかわいそうだった)。
そして、籍を入れて半年で妊娠した。
病気になった時や3.11の時に考えていたこと、「自分は何がしたいんだろう」ってことは結局10年ぐらいかかったけど、全部答えが出たし、全部手に入れた。
今は情報が気軽に手に入るし、色んな考えが知れるけど、最期は自分が決めることだから惑わされないことと流されないこと、自分で考えることが自分にとって最良の選択に繋がるんだと思う。
ただやみくもに動いたり、喋ったりする前に方向を決めて力を集中させないと。
多分、それが早い人は高校や大学でできるんだろうけど、私はその時その時でやりたいことがあったり、いちいち人が云ったことに傷ついたり怒ったりして、無駄が多い。
非常事態でそっと生きている時こそ、ほんとうに大事なことだけしよう。

引きこもれない。

新型コロナが流行る前だったからいいけど、12月半ばに肺炎になった。
介護等体験に行き、その帰りに飛行機に乗ってスクーリングに行って、鳥取に帰って職場に行ったら、息をするだけで肺が痛くなって「ヤバイ!」と思って病院に行ってCT撮ったら肺炎になってた。
※新型コロナとかマイコプラズマではない。

 

 

通信で教職と学芸員資格を取ろうとしていて、レポート提出だけじゃなくて、スクーリングや実習、実技、試験があって暫く忙しかった。
子育てもあるし。
というか、子育て中でフルタイムで働けないから、その間に通信で資格を取ろう!と思ったのだが、親には「果たして、そこまでする必要があるのか・・・」と云われた。
実際やってみて、感じたのは「大人になってから勉強する人の方が熱心だ」ということ(私は資格取得という目的があるけど、他の人は純粋に勉強したい人が多い)。
今、社会人の学び直しとかスキルアップのために朝活とかする人がいるけど、自分が学びたいという意欲が一番大事なんだな、と思った。
そして、レポートが通らないとか、試験に合格しないとか、地方に住んでいるとスクーリングに行くのが大変だとか、色々くじけそうになる度、東進の林先生の「勉強が嫌ならやめればいい。勉強なんて贅沢なんだから」という言葉を思い出して、自分がやろうと決めたんだからやり遂げようと思った。
(しかし、来年度は休学するので、卒業はまだ先)
何度も、やろうと思っていたんだけど、なかなか踏み出せなくて(やる気の問題ではなく、仕事の都合とかタイミングが合わなかった)グズグズしてたけど、やるって決めたら、全てがトントン拍子に揃った。
東京に行った時、昔のバイト先に飲みに行ってマスターに通信のスクーリングで来てると行ったら、じゃあうちの1階に空き部屋があるから、そこ使っていいよ、と云われ(マスターとママさんが大家でアパートを一棟持っていた)宿まで確保できた。素晴らしい。

 

私は高3~浪人中にかけて、今思うと抑うつ状態のようになったことがあり、勉強してもデッサンしても何故か成績が上がらなかった。
学校や予備校には行けてたから、重度ではなかったのだろうけど、人と喋りたくない(でも、頭の中では喋ってる)、学校に行くだけで精一杯、もうとにかく耐えればなんとかなると思い込んでいた。
その時は小説家の三田誠広さんが自分が不登校になった時の本に「学校なんて所詮箱庭です」と書かれていて(世界は広い、みたいな意味だったと思う)、それを心の支えにしていた。
浪人の途中で、真面目にやってもテキトーにやっても一緒じゃん、と思って演劇観に行ったり、美術館に行ったりし出してから元気になって、予備校も変えたら集中できるようになってなんとか大学に行けた。
その後、大学院に行きたかったけど、親に経済的負担をこれ以上かけられないから行けなかった。その時、同級生が「院に行くより、浪人中の方が勉強になったから(大学院は)いい」と云ってて、私もなんとなく諦めがついた。
ただ、未だに浪人中の夢をみたり、京芸の通信だったら院の資格が取れたのか(私はムサビ)と思ったりするので、今やってる勉強が私にとっての大学院だと思うようにしている。
大学に行ってた時は講義を聴いてれば単位が取れたけど、今回は自分で調べたり読んだりしなくちゃいけないので、身につくのはこっちの方かもしれない。

 

 

自分の勉強も大事なんだけど、子どももそろそろ勉強させるかなーと思って3才と2才の子にはドリルを買って保育園から帰ったらやらせていたんだけど、限界を感じ(家にはお菓子やDVDなど誘惑が多すぎる。他人に教えている時はイライラしないのに、我が子に教えていると「なんでこんなこともわからないのか」とイライラしてくる)公文に入れることにした。
あと、ピアノとバレエを習わせたい。
それは、そっくりそのまま自分が幼少期にやりかったことだ。
習い事や塾に行きたいと云っても行かせてもらえず(旅行とか外食はしていたから、貧しかったわけでもないのに)、両親は20時頃に帰ってくるから勉強をみてもらったこともないし。
だから、子どもとカルタみたいな教材で遊んだり、アップルパイを焼いてあげたりしていると「うちの親はこんなことしてくれなかった」と淡い怒りと悲しみが湧いてくる(だから、恵まれている我が子が憎い、とかは思わないんだけど)。
別に毒親育ちでもない私ですら、そう思うんだから虐待とかネグレクトとかに遭っていたら、子育て中もフラッシュバックしてきて苦しむんだろうな。
私がイライラするのは、真ん中の子が飲み込みが早くてなんでもできるのに(保育園の先生も賢いと褒める)、長女がなかなかできないので、バカなのか・・・?と思ったりするからもある。
(多分、普通なんだけど)
第1子妊娠中は仕事も家庭もほんとーに辛くて(義親と同居だけでなく、義妹家族までいた)、車の運転も始めたばかりで「心配だから早く帰ってこい」と夫に云われていて自由がなかったから、全てを捨ててどこかへ行きたいと思っていた。
産んだ後も誰も助けてくれなくて、ワンオペ&女中扱いだったので、今でも恨みに思っている。
第2子妊娠発覚時に「このままではいかん!」と思って、義妹家族を追い出した。
義親と義妹夫婦には悪者にされたけど、自分が子どもを育てやすくするのが一番大事だから、どう思われてもいい。
子育てカウンセラーに話したら「わけのわからん屁理屈をこねて、共通の敵を作って攻撃する。典型的なモラハラ男(義父と義妹の夫が。うちの夫はそういうことはしない)ですね」と云われ、腑に落ちた。
そして、「私は闘って勝ったのだ」と自分なりに落としどころを見つけた。
今は子どもを幸せにするのが、過去への復讐だと思っている。

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長女が描いた呪われそうな絵。

 

個展での出会い

直接、会期中にお会いすることはできなかったが、芳名帳に人間国宝の前田昭博さんの名前があった。
私の展示の前に友田恵梨子さんという若い日本画の方が個展をされており、その時に前田さんにお会いして話したので、覚えていてくれて来てくれたんだと思う。
友田さんは鳥取の人ではないんだけど、パートナーが陶芸家で、前田さんの窯の近くに窯を開いているそうだ。
そして、移住して鳥取で日本画を描かれているということだったが、モチーフは自然物が多いので、絵を描くのには良い環境かもしれない。
勿論、陶芸をするのにも。
以前、東京で版画科の先輩の個展に行ったら、同じ会場で展示されている人が大山で窯を開いていると話していた。
住所が私の親戚の木彫家の人の近くだったので、おや、と思って話しかけたら、鳥取に縁があるわけじゃないんだけど、一家で移住して暮らしていると云われていた。
陶芸やガラス、版画は創作する設備が必要になる(木版はバレン一個あればどこでもできるけど)。
今の版画はどんどん作品が巨大化していて、小さな作品は公募展などで並ぶと見劣りしてしまう。
小さな版画をコツコツ作るのも素敵だとは思うけど、大きな絵を描きたいっていう欲は自然と出てくるものだと思う。
その為には大きな版画が刷れるプレス機が、その版画を腐蝕したり製版するスペースが必要になってくる。
嫁ぎ先でどんなに嫌な目にあっても逃げなかったのはプレス機があったからかもしれない(笑)
いや、うそうそ。子どもと夫がいたから。
実際、あんなでっかいもの置くスペースなんてうちの実家や都会にはないもの。
あと、坂崎乙郎さんという美術評論家が「地方の作家は息が長い」と書いていたけど、じっくり真面目に自分の道を行きたい人には向いてるかも。
今年は3回、東京に行く用事があったけど、行く度に友だちに会ったり、展示を観に行ったり、映画を観たり、飲みに行ったり、買い物に行ったり、メインの用事より遊びに忙しい。
刺激も誘惑も沢山あるし、1年そこに行かないとすぐ取り壊されて新しい建物ができている。
友だちと渋谷で飲んでたら、若者ばっかりで(当たり前だけど)、リリー・フランキーが「毎年、4月になると地方から掃除機で吸い集められるように若い人が東京に来る」と書いていたのを思い出した。
面白い表現だな、と思ったのと同時に「ゴミみたい」とも思った。
都会の匿名性は気楽だけど、かつて東京に暮らしていた時、自分の変わりはどこにでもいるような気分になることもあった。
江戸時代の人返しの法令とか、今やった方がいいんじゃないのかっていうぐらい人口増加してる感がある。

 

話がズレたけど、こうして地方の作家さんに会うとみんなそれぞれ独自の哲学があって面白いな、と思った。
抽象画を描かれているフナイタケヒコさんには会期中、お会いできて、どうやって制作を続けてこられたか、とか、若い頃の活動なんかも聞けた。
フナイさんも前田さんもストイックな雰囲気の人で、ズルせず真っ直ぐ自分の制作に向き合っている。
そして、今回の展示はギャラリーそら賞の副賞で、もう一人の受賞者大久保つくしさんと出会えたことも良い刺激になった。
大久保さんは同い年で、やっぱり同じように小さい子を育てていて、子ども向けのワークショップを精力的に行っている。
大久保さんのワークショップの様子はインスタで見ているんだけど、洗練されていない子どもの作品はその時期しか作れないし、大久保さんのアイデアも沢山詰まっていてとても楽しい。
私は大学生の時、アウトサイダーアートが好きで、自分もそれっぽく描いたりしていたけど、そういうのを一度全て捨てて、自分の作品を作ることにした。
障がい者アートは今でも観たりするし、頼まれたら協力するけど、そこにどっぷり浸かりはしない。
今は自分を内省するような作品を作ろうと思っている。
色んな人に作品を観てもらうことはこれまでの成果を発表することだけど、そこからまた新しく考えさせられることが出てくる。
ずっと、いつ死んでもいいぐらい身軽なのがいいと思っていたけど、今の私は「重きを背負いて人は成長する。身軽足軽じゃ人は育たぬ」という言葉を胸にちょっと自分に負荷をかけて頑張ろうと思う。

個展のふりかえり。

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11/7から11/12までギャラリーそらの3階で個展を開催させていただきました。
私は会期中、午前中は仕事に行って午後在廊して夕方保育園にお迎えに行くというスケジュールであった為、折角来ていただいたのにお会いできなかった人が沢山いて残念でした。

 
そんな中短い中でも色んな出会いがあって面白かったけど。
写真家の池本さんが「これだけ技術があるなら新しいことをしろ」とか言い出して、うーん、そうだねぇ、と考えて「雪の降ってる砂丘を裸で走ったら自分の殻を破れるんじゃない?」と言っていた。
テキトーに言ってるだろ(笑)と思ったんで「お断りします」と言っておいた。
新しいことしてるんだけどね。
私が勝手に作った技法とかやり方でマチエール作ったりしてるし。
ただ、版画っていうのは、銅版画なら銅版画っぽい作品になるのは確かで、池本さんの言いたいことはわかる。
つまり、技法があるので「木版なら木版っぽい作品」になるし、それを作っている人も「木版っぽい作品が好きで木版を自分の表現手段として選んでいる人」が多い。
だから、素人目に見ると先人たちと同じような画面を作っているように見える。
そして、私は「新しいことをしたい!」とか「他の人と違うことをして目立ちたい!」とか「観る人をびっくりさせてやるぜ!」とか思って制作していない。
(大体、そういう人は版画じゃなくて、現代美術の方向に進むと思うが・・・)
あくまでも、自分の作品のコンセプトがあって、それに合う画面作りができるようになりたい、という想いで作っている。
だから、新しい技法を生み出すことが重要なのではなく、自分が水のイメージが欲しいとか女性性としてのレースが欲しいとか、その画面に合ったマチエールを考えてたまたま新しいことができた、というのはある。
私の中では、誰もやってない技法をやることが大事なんじゃなくて、イメージを画面に表すことが大事なことなのだ。
(そんな調子だから、真似されることもあっても、黙認してる)
版画をやる人は油絵を描く人やデザインの人の調度中間の人が多くて、超細密に描ける実力派から、画面の構成力のある人から、デザイン性に優れた画面の作れる人から、手先の器用な人から、色んな人がいるし、色んな絵があるんだけど、「版画は版画っぽくなる」というのは避けられないことだと思う。
私は「版画っぽい絵」が好きだから、版画を続けているんだけど、そもそも紙に印刷されているものが好きなので、高校生の時から続けているコラージュも会場に置いた。
高校生の時、東京に行ったらDMとかフライヤーをいっぱい貰ってきて、それをスクラップブックに貼って、平面構成のネタにしようと始めたことなんだけど、予備校の先生がそれを見て「大竹伸朗って知ってる?」と訊いてきた。
大竹伸朗はそのスクラップ自体が作品になっていて、それがロックな感じで恰好良かった。
なんとなく、そのまま私は紙を集める、組み合わせる、貼るという作業を大人になってもやり続けている。
そして、それが版画の制作を助けることがよくある。
時々、あのままデザイン科に入って、デザイン事務所に就職していたら、どんな人生だったんだろうと思うことがあるけど、私はそのレールから19歳の時に降りたのだ。
自分がずっとやりたいと思えることに出会えたから。

 

書道家の瀧先生も観に来てくれて、瀧先生が話していたんだけど、千住真理子はストラディバリウスの音を聴いた時「これしかない!」と思ったんだと。
京大の法学部の時にある字に出会って書家になった人もいるよって。
みんな、そういう出会いをして、自分で何かを決めているんだと思った。
私の場合は浪人をしている時、色んなジャンルの画集を見ていて(気に入ったのがあれば、コピーを取ってそれもスクラップしていた)、ルドンのリトグラフを見て版画科に行こうと思って、ベルメールのエングレービングを見て、銅版を専攻しようと思った。
今思うと、ベタなものが好きだったんだなぁと思うけど、そういう「ザ☆版画!」みたいなのに惹かれたから版画っぽい作品を作り続けたいんだなと思う。
まだまだ、個展をやって気づいたことや学んだことはあるから書き切れないかもしれないけど、また次回。

 

 

個展のお知らせ

11月7日(木)~11月12日(火)まで鳥取市にあるギャラリーそらで個展を開催いたします。

 
あ、今年から名前をカタカナ表記にし始めました。
字画が良くないから・・・。
結婚したので、苗字が変わったら、そっちはもっと悪い。
この悔しさを我が子の命名にぶつけました。
三人とも占い師も真っつ青!なパーフェクト姓名にしましたよ!
地格、人格、外格、総格は勿論、陰陽も健康運も全て大吉の名前にしましたよ。
当て字とかキラキラネームとかしわしわネームでもなく、親しみやすく呼びやすい名前で。
女の子は女の子にあった字画(才色兼備になるとか、玉の輿に乗るとか)にして、考えに考えて、夫に3つぐらい候補を出して、プレゼンしたら
「え・・・、選択肢それだけ?わたしに考えさせてくれないの?」と言われましたが。
私は結婚式の時に悟ったのです、夫に任せていたら「何も進まない」ということを。
結婚式は私がやりたかったわけではないのに、途中からスイッチ入れて、ガンガン自分が決定して、交渉して、注文出して、全部自分の好みにしたよ!
じゃないと進まないんだもの。
(夫が選んだのは引き出物の埴輪みたいなマグのみ)
夫の友だちに会った時「やればできる奴なんだ」と言われたけど・・・それはそうかもしれない(地頭は私よりずっと優秀)・・・でも、進めないんだもの。
だから、名前は私が全部パーフェクトな名前を考えた。
数字を見れば、吉か凶かに変換されるほど調べたので、我が子の名づけに一点の悔いなし。

 

 

【個展情報】
ギャラリーそら
鳥取市栄町658-3駅前サンロード
TEL 0857-29-1622
2019.11.7~11.12
10:00~18:00(最終日は16:00まで)

↑子どものTシャツにシルクで刷って、フェザーTシャツにしてみた。

県展奨励賞

鳥取県展で奨励賞をいただきました。
以下が展示スケジュールです。
鳥取県立博物館 9月14日(土)~9月23日(月)
米子市立美術館 10月5日(土)~10月14日(月)
日南町美術館 10月18日(金)~10月27日(月)
倉吉博物館 11月9日(土)~11月15日(金)

 

 

私が高校生の時、3年間お世話になった美術の先生が今年は審査員をされていて(部門が違うので私の作品の審査には関わってないと思うけど)、なんとなく懐かしいなと思った。
それとはまた別に、新聞やネットニュースで知ったのだけど、6月に多摩美にいた本江邦夫先生が心筋梗塞で、70歳で亡くなられていた。
本江先生は院生の講評に出られるので、私は直接指導されたことはないのだけど、卒業後、銀座で個展をしたらギャラリー巡りをしていた本江先生にたまたま展示を観てもらえた。
私のポートフォリオを見ていた本江先生に「この小作品、本江先生が購入してくださいましたよね?!」と話しかけたら「洒落た作品だね」と言って、帰り際に、目を見ずに「諦めないでね」と言って去って行った。
新聞で訃報を知った時、銀座のギャラリーで会った、知的で、シャイな本江先生らしいそんな思い出が蘇った。
何故、本江先生が私の過去の作品を買っていたのかというと、学生時代チャリティー版画を芸祭や美術館で売る伝統がうちの学部にはあって、大体1枚1000~2000円で学生が小作品を出していた。
半分は寄付(大学に寄付するのではなくて、震災の義援金とかになる)、半分は学生本人にお金が入るのだけど、金額の大きい小さいよりも「沢山ある作品の中から自分の作品を選んで購入してくれた人がいる」というのが喜びだった。
中にはギャラリーオーナーや有名コレクターがいて、その中に本江先生の名前があった(2枚も買ってくれていた)
本江先生は抽象の作家が好きなイメージがあったので(抽象絵画の魅力を中高校生向けに書いた「〇△□の美しさって何? 20世紀美術の発見」とか面白い)、私の作品を買ってくれたのはなんとなく意外だったけど、それが大学生の私にはとても嬉しかった。
あと、私は経済的な理由で院には進まなかったけど、働きながら絵を描き続けようと思ったのは、版画ゼミの滝沢先生が卒業した時に、私が「卒業して、プレス機もないし、どうやって続けたらいいのかわからない」等の弱気な発言をしたら「卒業後が勝負ですよ」と言われたからかもしれない。
本江先生も滝沢先生も発言そのものはおろか私のことすら覚えていないだろうけど、私はその二人の言葉を思い出すと「それもそうだよな」と腑に落ちて、また絵を描こうと思う。
現実を生きていると、いっぱいやらなくちゃいけないことがあって、色んな人が色んなことを無責任に言ってきて、混乱するというか怒りがわいてくることもあるけれど、どんな絵を描こうかなとか、技法のことや展示方法を考えたりしていると、私は細部に渡ってイメージを膨らませ、それに伴うアイデアを出そうとしていると、新しいことが生まれてくるようなわくわくを感じる。
作ってみて、「あれ?それほど良くなかった」と思うことが殆どだけど、きっとまた次に作る作品はこれよりいいものが出来上がるだろうと思える私はとても楽観的なのだろう。
美術界に沢山の功績を残されて、私のような者までサラッと励まして、退官された年に亡くなるなんて、本江先生は最期までクールな人だ。

思い込んだら、茨の道。

「ブルーピリオド」を読んで、ああ、懐かしいなと思ったら、新美がモデルになっているらしかった。
自分が苦労したので(地方にいるとどうしても情報不足だからっていうのもあるし、良い指導者がいない)、美大を目指してる子の力になれないかな、と思って近所で調べたけど、どうも近くでは予備校がないようだった。
じゃあ、自分でデッサン教室でもやろうかと思って、借りれる場所を探したが、場所はあってもモチーフや道具は一から揃えないといけないので、なかなか難しいなと思っていたところに、講師をやりませんかという話が来た。
夏期講習を指導に行ったんだけど、現在の倍率を調べてみると、少子化で芸大19倍、ムサビ7倍、多摩美3倍まで下がっていた。
(あと、推薦入試がある!びっくり)
多摩美不人気はあの事件の余波じゃないのかと勘繰りたくなる。
あと、立地も悪い。
なんで、折角、東京の大学に行って、あんな山ん中でキャンパスライフを過ごさなきゃいけないんだ。
しかも、あの辺、元処刑場っていう噂があって、心霊スポットらしいし(笑)
今なら、現役でムサビに行くか、浪人して芸大に行くわ。
それで、学部の時に学芸員資格取って、院で教職取る(専修免許が取れるから)。
うちの親もちゃんと色んなこと教えてくれればいいのに。

 
私が受験した時、芸大40倍だったので(多摩美とムサビは20倍)、5浪とか6浪とかしている人もいて、現役芸大生がバイトに来てると、どっちが講師かわからないような人もいたが、私にはそこまで芸大に拘る意味がわからなかった。
諦めた友だちとかも今なら受かるんだろうなと思うので、人って努力と才能だけじゃなくて、時代とかタイミングとか運とか重要なんだなと思った。
私は団塊ジュニア世代だけど、団塊の世代はもっと大変だっただろうし(大学の数も少ないし、家庭の経済状態も影響するし)、学生運動とか戦争とか社会に振り回された人もいっぱいいるわけだから、絵が描けるだけでラッキーかもしれない。
社会人になったら、1日中制作できるなんてあり得ないので、たとえ受験対策の絵を描かされていたとしても、それは贅沢なことだし、そういう勉強ができるのは若い内しかできない。
受験の数ヶ月前は朝9時から夜9時まで予備校にいて、帰ってからも課題をやって、ご飯食べている時以外絵を描いていたけど、それでしんどいと思わなかったし、ただひたすら耐えれば受かると信じていた1浪目の時の方が辛かった(講師が合わなかった)。
誰でも自分に合った環境で、「今年で最後」というタイムリミットを作って、崖っぷちに立たされれたら、一気に集中できると思う。
イチローが引退会見の時に、若い人へのメッセージとして「野球じゃなくてもいいから、自分が夢中になれることを見つけてください」と言っていたけど、結局そこに尽きる。
自分の得意分野を見つけたり、できることを知ることがのちのち自分を助けることにもなるし、人の役に立つこともあるから、絵とかスポーツとか、それじゃ食っていけないと言われる世界でも、無駄だとは言えない。
そんなことしても無駄だよって言ってきたり、私の方がすごいってマウンティングしてくる人とか、露骨に邪魔する人はどんな世界にもいるんだと思うけど、ほんとうに良くないことをしていて反対されるならまだしも(なんか、犯罪スレスレとか)、意味なく自分を凹まそうとしてくる人の言うことは聞かなくてもいいと思う。
そういう人たちは頑張っているあなたに嫉妬して、足を引っ張ろうとしているだけだから。
そして、そういう人たちの感情に巻き込まれちゃいけないし、自分の人生を決めるのは自分しかいないし、自分以外誰も責任は取れない。
ずっと絵を描いていて、一番不愉快なのはやっかみで、二番目は利用されること、三番目は陰口、噂話。
私は「痛くも痒くもないので、どうぞご自由に」って顔して、ものすごい執念深いから(嫌なことを繰り返し考えてしまうから、脳の回路に轍ができるんだと思う)、そういう奴らのことは絶対許さないけど。

 
用事があって東京に行った時、友だちの個展に行ったら、結構人が入ってて、作品も沢山売れて予約も入ってた。
その人はイラストレーターで、割と大手の仕事を沢山やっている広告代理店に就職して、フリーになって、装丁とかポスターの絵を描いてて、最近彼氏と結婚した・・・ら、なんか知らないけど、突然大学時代の親友から絶縁状みたいなのが届いたらしい。
やっかみだよ、と内心思ったけど。
就職氷河期ド真ん中でも、ちゃんと就職してデザイナーとして仕事をやって、フリーになっても活躍できて、年下のイケメン(多分。写真でしか見たことないけど)と結婚するとか言うから、面白くなかっただけじゃないのか、と。
彼女は自分の努力で全部手に入れてるから、立派だなぁと私は思うけど。
気にせずに、これからも続けてくれるといいな。

 
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夏休みは子どもをチームラボの展示に連れて行った。

 

新しい季節

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冬の間、早く暖かくならないかな~と思って春のスカートと革靴を買っていたのだけど、あっという間に夏になって使えなくなった(靴の下にひいているのはスカート)
この間、A子が3才になったと思ったら、B子が2才になって、3ヶ月経ったらC太が1才になる(123になる。笑)
C太がつたい歩きをし始めて、赤ちゃんから子どもになってきた。
4人目は今のところ考えていないので、これが最後の「赤ちゃん育て」かー、と思うと(子育ては終わらないんだけど、赤ちゃん期は終わる)もう少しこのままでいてくれないかな、と思ったりする。
4月から新しい所で働き始めて(前の仕事は家庭の事情で辞めた)、自分がやりたかったことができているので、楽しいんだけど「子どもが小さいのにこんなことしてていいのかな」という気持ちになる。
多分、100%満足いく子育てというのはなくて(よっぽど自己評価が高い人か、佐藤ママみたいに子どもの受験に全精力傾けた人以外は)、働いてたら働いてたで「子どもに淋しい思いをさせるんじゃないか」と思うし、専業主婦をしてたら、成長した子どもに「なんで、お母さん働いてないの?」とか言われそう。
あと、ダンナが万が一ぽっくり死んだりしたら、路頭に困る。
そんなこと考えなくてもいいんだけど、専業主婦って怖くないのかな?
ただ、今月はC太が手術をしなくてはいけないかもしれなくて(結局、手足口病になって延期になった)、その所為もあって「仕事か家庭か」と考えることがあった。
男性作家だと「自分にはやりたいことがあるから家庭を持たない」という人がたまにいて(妻子を養えないから?)それはそれで潔い気もするけど、私は「制作も続けたいし、できれば仕事もしたいし、縁があれば結婚したいし、子どもができたら産んで育ててみたい」と思っていた。
欲張りのような気もするけど、割と明確にビジョンがあって、制作と言っても映画や工芸に手を出したいと思わなかったし(そこまで器用じゃない)、仕事や結婚相手も具体的に考えていて、結果的にそれに近いものを選ぶことができた。
だから、漠然と全部欲しいと思っていたわけじゃなくて、違うと思ったら返却して、また探しての繰り返しで、「40にして惑わず」になればいいかな、と思っていた。
もうすぐ40になるけど、まだ迷い続けるのかな。

そこまで、悩んでもいないんだけど、その迷いみたいなのは「子どもにどこまでしてあげれば正解なのかわからない」というのが根源にある。
自己実現を諦めて(制作や仕事を捨てて)、全て子どものために生きるのがほんとうに正しいとはどうしても思えないし、果たしてそれが子どものためになるのか?と。
ネグレクトみたいなのは勿論ダメなんだけど、手をかけたらいい子になるのか??と思ったり、母親の自己満足なんじゃないのか、と思ったりする。
「パパは脳科学者」(池谷裕二)で、子どもに親があれこれしてあげたいというのは本能というようなことが書いてあった。
で、恋人にあれこれしてあげたいと思うのは子どもを育てる時の親の脳と同じで、何故それが恋人にそう思うのか、というと脳の誤作動らしい。
私は彼氏にあれこれしてあげて、結果的に彼氏をダメにしてしまう女の人を沢山見てきたので(自分のことではない)、子どもも同じでスポイルしてしまう可能性だってあると思うのだ。
まぁ、大の男と子どもの世話は違うんだけど。
あれこれ与えすぎないで親がしっかり手綱を持って、やりたいことはやらせてみて、変な方向に行こうとしてたら方向転換させる、ぐらいでもいいかなとは思うんだけど。